2012年07月06日

穂高・下又白谷〜静かに眠る穂高の大ゴルジュ〜

 穂高に下又白谷という大ゴルジュが眠っている。「断想 下又白谷」、この記事を目にしたのは今から4年前の事だ。山岳巡礼倶楽部の赤沼正史氏の記事と共にカラーで掲載されたその写真は、非常に刺激的な写真だった。上に吹き上げる滝の真横をネイリングする姿やU字形の滝の横をユマーリングする姿は、それ以来僕の心にインプットされた。僕を下又白のとりこにするには十分すぎた。

上高地に降り立つと、もう秋真只中だった。ここで京都から来た野村さんと待ち合わせをする。とにかく寒い。

shimomatajiro02.jpg
狭いラントクルフトの間を抜ける

明神から対岸の林道をのんびりと歩き、下又白谷へ入る。しばらく涸沢を登って行くと、伏流していた水流が再び現れ、大きな壁が現れた。9月になっても膨大に残る雪渓はとても信じられない。最奥には万年雪の城塞に囲まれた鉄のF1が控えている。
雪渓のどん詰まりから、木の棒を埋めて、シュルントに懸垂。頭上に被いかぶさる雪渓を気にしながらラントクルフトをトラバース。下を見れば、真っ暗な闇が口を開いていた。鉄のF1はとても登れるものではなく、左岸から入るルンゼを4ピッチで登る。

続く銅のF2。ホールドがガタガタ動く非常に恐ろしいカンテを2ピッチ。両側の壁は城塞のように立ちはだかり、正面突破しかあり得ない。落石が襲い、僕らは右往左往する。銀のF3も大変だ。あの写真で見たU字型の流水溝から上に吹き上がるのも健在だ。2ピッチ分をネイリングすれば、もう夕方になっていた。
翌日早朝から、金のF4の左壁を登る。2ピッチ目、37年前の初登攀の時には生えていなかっただろう灌木を使って苦しいエイドをすれば、終わりももうすぐだ。ピトンが足りずにランナウト気味の最終ピッチは、傾斜が緩いながらもとってもすばらしいピッチだった。

振り返れば徳沢園が見える。最後のF5を簡単に越えてしまえば、1時間半ほどガレ場を右に右にと登り続けると茶臼のコルで、奥又白は目と鼻の先だった。秋色に染まった穂高の山々を眺めながらの下山となった。
想いとはうらはらに結構あっさり登れたが、得てしてそういうことはよくあることだ。しかし、内容自体はすばらしい。F3上の河原で明かした焚き火の夜は、辺りの山々を微かに照らし、決して写真では表現できない幻想的な光景を醸し出していた。

穂高・下又白谷
2002年9月21日〜22日 
木下徳彦、野村勝美(無所属)、西田重人(山岳同人「黒部童子」)


posted by gorge13 at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 登攀記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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