2007年09月12日

黒部を越える旅B -黒部川単独横断〜剱沢大滝-

黒部を美しく越えるような山旅をしたい。できれば、12月や3月に自由なラインでその願いをかなえたいが、僕の実力と現在の自分の置かれている生活環境では、雪の多いGWに願いをかなえるのが精一杯だろう。できれば、全行程通してソロですばらしい山行が出来たら、きっと充実するだろうが、これも僕の実力を考えると、ちょっと厳しいかもしれない。何よりも、僕は寂しがり屋で小心者だ。過去に何本かソロクライムをしているが、あの緊張感で単身10日間も過ごせそうにない。
その黒部の中でもアルパインクライミングの要素がぎっしりと詰まった山行という条件を選べば、自分の欲求を満たしてくれる場所は、剱沢大滝だろう。志水哲也が「剱沢遡行--僕がこれほど情熱を注いだ山行はかつてなかった。それは自分の全存在をかけた闘いだった」と自著「大いなる山大いなる谷」で述べたように、黒部の内院とも言える場所にこだわりを持ち挑んできた人間は多い。だが、その登攀内容は高度であり、初登攀から40年を超え、登攀者が40名を超えた今でも、先人のやった偉業を超越するような山行を行うのは容易なことではない。だからこそ、先人の情熱を感じ取りながら登ると同時に、かつ自分を試す山行をしてみたかった。

過去にGWの黒部には何度も出かけているが、これほどまでに緊張したことはなかった。何といってもソロである。まして黒部川を渡るとなると、不確定要素が非常に強い。果たして渡れるのだろうか、流されたりして死んだりしないだろうな?と考えると夜も寝られなくなった。3年前のやり直しプランであっても、その間に大きな進歩をしていない自分にとっては何も状況が変わっていない、いや、登っていない分だけ、前より悪くなっているに違いなかった。 cvだからこそ、山行を無事に終えて、机でキーボードを叩いている今が存在していることに感謝している。

4月30日
たった1人の旅立ちは寂しい。気がつけばたくさんの人に携帯でメールをしていた。ホームで真剣にメールを打っていると、夜行列車がホームに入ってきて、僕はすぐに車上の人になった。中で飲もうと思っていたビールは手をつけることもなく、そのまま窓際に置いたまま、がらんとした車内のボックス席で丸くなって眠った。
信濃大町の駅も寂しかった。この町に足をのばすようになってから10年が経過したが、これほどまでに登山客が減ってしまった現実に、少しの驚きと、時の流れを感じてしまう。相乗りを期待したタクシーも1人で乗ることになる。こんなとき2人だったら、少しでも不安な気持ちを話すことで軽減できるのだろう。
大谷原には自分の他に3人パーティーがいるだけだった。ギアを身につけている最中に、フラットソールを車中に忘れたと気付いた。が、すでに手遅れだ。戻るような時間はない。剱沢大滝で相当苦労しそうだが、観念して取り付くことにした。
沢沿いの道をしばらく歩き、赤岩尾根へ上がるトレースと別れ、寂しい一人旅が始まる。トレースは全くない。しばらく歩くと鎌尾根が見えてくるが、この辺りから非常に苦しいラッセルになる。ゴルジュを抜ける頃、後続の単独行者をはるか後ろに確認するが、鎌尾根へ行ってしまう。やはりこの時間にダイレクト尾根に取り付くやつはいないようだ。
すでに太陽は高く上がっている。9時前に取り付くはずが、10時半を過ぎている。なんて大誤算だ。北俣本谷から詰めるか考えたが、ここで挫折したら後も続かないだろうと思い、初志貫徹とする。
出だしは尾根が二つに分かれているのでその真ん中の、尾根に挟まれたルンゼ状をしばらく登るが、これがまたずっと厳しいラッセルが続く。一歩一歩が潜り、体力を奪い、その間にも時間が無常にも経過していく。目指す稜線ははるか先だ。果てしないくらい遠いのではないかと考えていたが、2時間もラッセルすればさすがに届いた。
第1岩峰が現れる。続く第2岩峰も含めて、岩峰の形状はしておらず、どちらもクレバスのある左から越えた。
すぐに核心の三角形岩峰が連なる。正面突破はかなわず、左の草付から登っていくが、傾斜が非常に強い。なにかあった場合に備えて、ロープを引きずっていく。上部は急な雪壁で、灌木をつかみながらになるが、雪が腐っており、非常に怖い。単独の怖さをかき消したいばかりに遮二無二ラッセルしていると南峰直下の広い斜面に出た。しかしここからが非常に長く感じる。バテバテになってもう動けないと思った頃に導標に出会った。
剱岳の勇姿が眼前に繰り広げられた。疲れが飛ぶ。しかし、これからが本番だ。剱はおろか、黒部別山ですら激しく遠い。僕はあのはるか先の頂まで行くことが出来るのだろうか? 半信半疑だ。
十字峡への道は2度目になるが、今回は単独ということもあり、憂鬱だ。2人と思われる先行パーティーのトレースを使い、まずは牛首山を目指す。空は青い。標高2300mを過ぎ、いい加減疲れて転がって寝たくなるが、明日天気が悪くなること、そして放水が始まる前に十字峡を渡らねばならないことを考えると、少しでも下っておきたい。十字峡への支稜の分岐を過ぎ、さらに下降。バテて、もう動きたくないと思えた1850mまで動いた。荷物の整理をしていたら、すぐに闇が訪れた。ザックに1つだけ入れてきたビールのプルタブに手をかける。カチッという音と共に、炭酸が抜ける音が聞こえた。

5月1日
寒さで目が覚める。運命の日。いつもの朝は行動がのろのろしているのだが、この日に限っては目覚めも早ければ、行動も早かった。わずか1時間でパッキングまで終了するが、まだ朝の4時。いくらなんでも早すぎた。30分ほどツェルトの中で時間をつぶし、空気が明るさを取り戻し始めた4時半から歩き始める。
下降ラインは明瞭だ。一度歩いたことがあるのに加え、今年は尾根左手の雪がつながっており、比較的快適な下降になる。頭の中にあるのは、放水の8時までに十字峡に辿りつかなければ今日中の通過は不可能であるということと、もしかしたら朝早くても渡れないのではないかという2つの不安。
1476m手前のコルから黒部川にスノーブリッジがかかっているのを確認する。色々考える。このまま十字峡に下りるよりも、ここは確実性を取ろう。そうなれば行動は早かった。急傾斜で落ち込むルンゼをクライムダウンする。
最後は地形図通り壁状になっており、ルンゼの右手の斜面をブッシュ伝いに無理して下り、ギリギリの場所から懸垂2ピッチ。なんとか届いた。
時間はまだ7時。予想以上の早さだ。休まず十字峡下流700mにかかるしっかりしたスノーブリッジを渡る。結果的に十字峡にはスノーブリッジはかかっておらず、激流が渦巻く十字峡に出ないというこの選択が正しいことになる。さしたる困難もなく、水平歩道経由で十字峡へ。時計は8時前を指しており、野村さんがやってくるまでの3時間半、昨日の睡眠不足を補うため、川の音と谷を渡る風を感じながら店を広げて昼寝した。
昼前に合流し、早速剱沢平へ移動。前と同じように別山北尾根を登り、適当な場所からトラバースする。いつもは懸垂が混じるであろう剱沢への下降もクライムダウンで済ませることが出来た。2年前の思い出に浸りながらの剱沢歩き。はじめははるか遠くにあった大滝も、近づくほどにその迫力を増してくる。前回敗退した取付手前のシュルントも、今回は分厚い雪渓に埋まり、問題なく越えられる。時間もまだ1時半。3時頃から雨が降るらしいが、空はまだ明るいまま。ここは時間がある限り登り続けたい。
ここは野村さんがリード。時間短縮もかねて先人の大いなる遺産でもある黄色いFIXを利用しながら左上。ただし、重量ザックを背負ったまま。出だしの凹角が厳しそうだ。その後も外傾の岩場が続く。1ピッチ登ったところで雨が降り出す。ロープを残置してすぐに下山。大滝尾根のハングの下に居を構え、早々と最初で最後の赤ワインで乾杯。雨は激しさを増しているが、ハングの下となるここだけは、時折テントを濡らすだけだ。目の前のルンゼにブロック雪崩が時折起こっている。

5月2日
大滝の異様な音で目が覚める。一晩中響き続けた轟音であることには変わりはないのだが、時折、上部の雪渓を押し流しているかのような音が聞こえるのだ。雨が止み、太陽が顔を出し始めたので、外を見ると、大増水となった流れは、上部の雪渓が崩壊したものと思われる雪塊をも押し流している。時折、小さなブロックが宙を舞っている。そして縁が崩れたような鈍い振動。すべてが剱沢大滝の迫力を大きくしている。
空はすっかり晴れ上がり、濡れた壁、暴力的ともいえる剱沢の流れ以外は、昨日と同じ状況だ。昨日張ったFIXを辿り、2ピッチ目のビレイ点へ。

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2ピッチ目以降も、先達の「大いなる遺産」を活用しつつ、急傾斜のブッシュ帯を登って行く。トラバースが混じる1ピッチ目ほど困難ではないが、ザックが重たく、しかも距離も長いのでとても疲れる。2ピッチ目にして早くもI滝の落ち口と同じ高度になる。途中、テラスをすっ飛ばし、ロープ一杯になるまで伸ばす。3ピッチ目、上部のテラスまでさらに10m伸ばし、焚き火テラスが確認できる位置までやってきた。

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4ピッチ目、ルンゼを登り、横断して、焚き火テラスの入口に生える緑の灌木目指して登る。足元はアイゼン。しかし、シーズン中サボったツケは大きく、スムーズには登れない。おまけにこのピッチでATCが墜落死する。トラバース主体のため、短い間隔でランナーを取るが、途中現れた日電隊の針金と鉄杭には正直驚いた。恐るべし日電隊。
終了点から安定した焚き火テラスへ20mの懸垂をする。テントが張れるだけの十分なスペースがありそうだ。すぐに懸垂地点を確認しに行くと、D滝の流れが見えた。唖然、愕然。左側がつながっていればと淡い期待をするが、上に登って確認すると、完全露出と分かる。半ば敗退を覚悟した。これほど降っても完全露出なんて…と考えると、落胆の色は濃い。
焚き火テラスからは8mの懸垂下降の後、絶望を感じさせる大廊下帯のトラバースが始まる。先人の情熱の凄さ・偉大さを感じ取ることが出来るとても刺激的なピッチ。とても真似できない。このルートを拓いた頃、彼等はどんな気持ちでルートをのばしたのだろうか? 足元に広がる風景はあまりにも威圧的だ。スタンスもプラ靴で登るにはあまりも心許なく、徐々に訪れる闇が恐ろしさを増幅させる。あまりにも時折現れる、志水氏が打ったと思われるペツルとICIの黒リングボルトが、安心感を与えてくれる。一説に「100本のボルトを使った」と実しやかに言われていたものだったが、現実は尾ひれがたくさんついていた。それが本当ならば抜かなければならないわけで、「わざわざレンチを持参した」が、実際に新たに埋められていたのは、ペツル4本とリングボルト5本(ビレイ点含む)だけで、位置的にも無駄なものはなかった。
リードの野村さんから「早くしろ!暗くなっちまう!」と罵声が飛ぶ。とは言っても、人工のピッチのはずが、ピンが良く見えず、相当に往生こく。所々取られているランナーの通過に手間取り、余計時間を食う。D滝の姿が僕の目の前に完全に現れたとき、辺りは完全な闇に包まれようとしていた。ヘッ電を持っていなかった僕等は、急いで張ったFIXを頼りに戻る。焚き火テラスに戻ったときには、残したFIXをロープの手触りで自分たちのものだと判断するしかないほどだった。
我々の心の拠り所は、D滝確認中に焚き火テラスで発見した錆びたボルトとハーケンの束の存在、そして暗闇の中に消えつつあったD滝の全貌。焚き火テラスにわずかながら、雪渓が残っていたのも、僕らを後押ししてくれた。「行けるかもしれない」との感触を掴み、再び爆音を子守唄にしての一夜を過ごす。

5月3日
昨日の最後に張ったフィックス伝いにトラバース終了点まで空身で移動する。2つの大きなザックを荷揚げするが、非常に重い。一人の力ではびくともせず、途中からは1/3システムを使って、全体重をかけて荷揚げした。とにかく大変だったが、もっと大変だったのは荷物の面倒を見ながらトラバースした野村さんだろう。このピッチだけで3時間近くかかる。5月ですらこれなのだ。3月に成功させたサンナビキ同人の和田氏が感じただろう絶望感は想像できる。

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荷物2つと2人が揃った後、いよいよ奈落の底への懸垂だ。真下には大きなシュルントが口をあけており、頭を使った斜め懸垂となる。ゴルジュ真っ只中の雪渓上に降り立ち、ロープを抜いた。もう戻ることはかなわないだろう。カチカチに凍った雪渓を登ると、幻のD滝が現れた。
この時期、緑の台地へは少し岩場を登れば到達できるが、数々のドラマを産んだこの岩稜は、はっきり言って取り付きたくない代物だ。楽に登るなら水流の左だろう。近くまで行くと和田氏が打ったというボルトの根っ子だけは確認できた。ただし、登ってから雪渓までのトラバースは困難を極め、かつリスクも大きい。ここは右壁を登り、上部の安全なテラスを目指すのが一番だ。何よりも5月や冬でないと登れないようなルートよりも、出来ることならば、剱沢の登攀を根底から大きく変えるような右壁の登攀をすることで、次につなげたい。
果敢にも、雪渓と壁に引っかかった半分崩れかかったブロックの上を歩き、スラブに取り付く。下部はハーケン主体。泥がたまったグズグズのルンゼにスタンスとリスを求め、右往左往するが、これが結構悪い。プロテクションも信用ならないものが多く、中程で途中1箇所ブッシュに取ったもの以外は、効いている感じがしない。下手したら全部飛びそうだ。

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上部も少しも手を緩めてくれない。これがまた厳しい左上となる。スラブの中にスタンスを求めるが、天井がつかえる。苦しい体制でハーケンを決めようとするが、リスがなく、何度もハーケンを持つ右手をぶっ叩き、そのたびに指が血に染まる。頭上の岩にハーケンを決めてみるが、体を支えるだけの支持力を得られないばかりか、リスが開いていき、浮石なのが分かった。これでは駄目だ。万が一落ちたら、大墜落になっちまう。
結局、上に抜けるまでスラブの中に最小限のボルト4本を埋めた(が、体制が悪く2本しか効いていない)。フォローの野村さんも、厳しい左上ユマーリングだったらしく1時間以上かかっていた。
D滝の上には楽園が広がっていた。ゴルジュの中に明るい雪渓がどこまでも広がっている。落ち口から吐き出された水流は、D滝下に広がる雪渓に吸い込まれ、雪渓の下を潜り抜けた水流が、水しぶきとなって釜の反対側から吹き出ている。もう怖いものはないのだ。
陽光を浴びながら、トレースをつけていく。しばらくすると正面に八ツ峰北面が眺められるようになり、じきに剱沢の側壁は低くなって、谷は穏やかになった。

5月4日
僕にはもう「菱ノ稜を狙おう」という情熱はこれっぽっちも残っていなかった。下山した今だからこそ登っても良かったかなぁと感じるところはあるが、確保器・下降器がなくて気乗りがしなかった。十字峡までの単独黒部川横断、そして剱沢大滝だけで満足だった。あとは剱を踏んで、馬場島の山桜を眺めれば十分だった。たぶんパートナーの野村さんも同じ気持ちだったことだろう。
特に困難なところもなく、八ツ峰北面を眺めながらの旅は楽しかった。すっかり黒くなりスラブが完全露出した滝ノ稜、急傾斜の袖ノ稜、絶望的に見える壁を持つ函ノ稜、そして菱ノ稜。それにしても菱ノ稜は黒かった。特に二ノ菱からの登りはほとんどヤブ漕ぎになりそうだった。
4時間足らずの稜線漫歩の後、三ノ窓に着き、そこからさらに1時間半で山頂。歩き始めた鹿島がはるか遠くにある。7回目の下降となる早月尾根にはもう感動もない。いつものように1500m地点から白萩川に向かって尻セードをすれば、ほどなく山桜で所々がピンクで山肌が染まった終着点・馬場島にたどり着いた。

 


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[山行DATA]
2005年4月30日〜5月4日
木下徳彦・野村勝美

04/30[快晴] 
大谷原(0550)→ダイレクト尾根取付(1040)→鹿島槍(1500)→牛首尾根支稜1840m(1830)

05/01[晴のち雨] 
TS(0430)→P1476m手前コル(0545)→黒部川(0700)→十字峡(0740-1200ダム経由入山の野村さんと待ち合わせ)→剱沢大滝 I 滝取付(1330-1400)→降雨のため1ピッチFIXで下降→剱沢大滝の前にTS(1500)

05/02[雨のち晴] 
TS(1240)→焚き火テラス(1630-1700)→懸垂後、緑の台地へ向けFIX→焚き火テラス(1930)

05/03[快晴] 
TS(0630)→D滝上発(1430)→近藤岩(1615)→三ノ窓尾根取付付近(1635)

05/04[快晴] 
TS(0440)→三ノ窓尾根→三ノ窓(0900-10)→剱岳(1030-45)→馬場島(1440)


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黒部を越える旅A -黒部川十字峡横断〜別山北尾根-

鎌尾根〜鹿島槍ヶ岳〜牛首尾根〜十字峡横断
〜剱沢(敗退)〜別山北尾根〜源治郎尾根〜剱岳


5月2日(晴) 
真っ黒のダイレクト尾根がはるか遠くに見えた瞬間、やる気が出なくなった。手前の鎌尾根を登るが、これですら結構雪面はズタズタ、雪はグズグズで、木下は途中で雪を踏み抜いて、神谷は稜線の雪庇の乗越しで落ちる。どっちもロープつけててよかった〜。稜線上は雪がなくアイゼンを外して登る。とにかく暑くて暑くてたまらない。息も絶え絶えで鹿島槍南峰を越えて、あまりの先の長さに萎える気持ちを奮い立たせながら、この日は牛首尾根支稜に入った1950mくらいまで。

5月3日(晴) 
1800mから下は雪がなく、ひたすらヤブ漕ぎ800mダウンで十字峡まで。尾根はどんどん急になり、しまいには懸垂をしないとダメな傾斜になってくる。最後は残置スリングを使い、懸垂3回で十字峡ちょっと上の雪渓に降り立つ。下る途中目指す剱沢大滝が見えたが、剱沢の大滝上の部分から水が流れているようにしか見えない。
上から見た黒部川もとっても渡れるような水量に見えないが、近づくとスノーブリッジどころか雪堤すらなく、一歩も動けそうにない。そもそも徒渉とか言うレベルの水量じゃない。

kurbe01.jpg

しかし、神は我々を見捨てなかった。以前、ボロいFIXロープが張ってあったところには運良く新品のトラロープがかかっていた。すかさずこのチロリアンブリッジを渡る。これがなかったら鹿島槍まで登り返しになるところだった。ゴルジュ突破が好きで泳ぎに自信があっても、この水温にこの水量の黒部川を素っ裸で渡るのはさすがに勘弁だ。チロリアンブリッジを渡っている時に、富山県警のヘリが十字峡を見に来てくれる。GW最後の横断者を心配して来てくれたのだろうか?
何事もなく渡りきり、登り返しでちょっとロープを出し登山道へ這い上がる。吊橋を渡って白竜峡方面に見に行くが、人の姿すら見えない。待ち合わせ時間の12時を大分過ぎてから、はるか遠くの雪渓を上がったり、下ったり、はたまた戻ってみたりしている姿が見えた。野村さんが吊橋のところに着いたのは、それから40分以上も経っての事だ。白竜峡の通過が死ぬかと思うほど悪く、愛用のストックをシュルントに食べられてしまったそうな。
合流してから30分ほど休んだ後、一路剱沢大滝に向かう。別山北尾根を100mちょっと登り、剱沢沿いに支尾根一つ分越えるくらいトラバースしたのち、2ピッチ80mの懸垂で剱沢へ。剱沢平に荷物を置き、そこからは神谷m木下が大滝のたき火テラスまでFIXを張りに行く。
大滝尾根の末端を過ぎると、滝の轟音が大きくなり、それに伴って不安も大きくなる。シュルントが開いたりしているので、途中からロープをつけて行動するが、取付手前でシュルントが4mも開いていた。他に渡れそうな場所も探してみたが何処もない。雪渓のおかげで上半分しか見えない大滝I滝を目の前にして、終わってしまった。これではどうしようもない。敗退なんて微塵も考えていなかった事なので、気分をうまく切り替えることは出来ない。
このままトサカ尾根登ってみるか?という話もあったけど、残り2日半で「悪そうなキノコの付いたよく分からない尾根を登るのはちょっとなぁ」ということで、別山北尾根を登る事に。黒部川をダムまで戻る事はルート状況からしてありえなかった。剱沢平のテントを撤収し、懸垂の着地地点そばまで戻ってテントを張り直す。登り返しの為にFIXを2ピッチ張った。

5月4日(雨、途中から土砂降り) 
朝イチで急な斜面につけた FIXを登り返す。重量ザックのためユマーリングに時間がかかってしまい、北尾根に出たのは出発してから1時間も経っての事だった。
1200m付近にある雨量計までは赤ペンキのマーキングがあって踏み跡もあるので楽勝だが、これとて15分ほどで着いてしまい、そこからはひたすら苦しい藪漕ぎとなる。結構急でほとんど腕力任せ。出発前からの両足首のケガ(実はテーピングで両足首をぐるぐる巻きにしている)がひどく、おまけに本日の体調も今イチで、自分一人だけペースが上がらず、どんどん離され、しまいには誰の姿も確認できない中、孤独なヤブ漕ぎをしていた。出発から4時間近くほとんど休まず登ってたが、1700mで先行の2人を見えてしまうと、ついに我慢の限界を超えてしまい、「休ませてクレー」とダウン。この日は、神谷君、野村さんに負担をかける結果になってしまった。要修行。
1500mから上は急傾斜のヤブに雪の塊やら岩も混じってくる。壁尾根との合流点手前でギャップが出てきて、懸垂1回(10m)。ここは冬には竹ペグ懸垂をするところだ。この後、雪の塊の乗ったリッジ通しでは無く、尾根の右側をへつるようにトラバースし、そのまま切れ切れで落ちそうな雪壁を繋いで登り、ブッシュを掴み掴み一気に登りきる。段々と傾斜が緩くなり、やっとこさ壁尾根と合流。2000m近くの台地に11時20分。本当はここで休ませて欲しいところだが、他の2人にはその気さえなく、あえなく休まず続行。
台地の先の根元に大きな空洞のあるきのこ風水平リッジで2ピッチ80mロープをだし、通常は竹ペグ懸垂になるところを、スノーバーを埋めつつ、やたら怖いクライムダウンとブッシュからの懸垂20mでコルへ(ここは通常なら竹ペグ懸垂30mになるところ)。この後の急雪壁を各自のペースで登って別山北峰へ。個人的にもうバテバテで動けなかったが、びしょ濡れの体&シュラフカバーの身ではなるべく標高の低いところで休みたいので、無理を承知で真砂に降りてもらう事にする。
別山北峰に上がると八ツ峰東面が一望になるが、最初の目標としていた八つ峰北面はおろかm稜やm稜にも雪はない。ちょっとがっかりだが、こんなことでへこむ僕らではなく、ここに着くまでに和田さんが「登山者の心意気」として薦めるm稜に行こうと言う話になっていて、ここから主峰〜ハシゴ段乗越経由で真砂沢を目指す。
どういうわけか?最後の最後で剱沢二股方面に行く支稜に入ってしまう。たぶん疲れていて、地図読みする余裕もなかったんだろう。間違いにすぐに気がついたが、もはや3人とも登り返す元気も無く、大幅な時間ロスを承知でそのまま降りた。川が出ている剱沢沿いに標高差にして150m近くも登り返し、土砂降りの中、最後はふらふらになりながら真砂のテント村へなだれ込んだ。
しかし、ここからがついてない。テントをたてるが、いきなりテントポールのつなぎ目が「ばきっ!」応急処置に時間がかかる。テントに入っても、テント内の湿気でライターがお釈迦、火もつかない。やむなく、隣のテントに火器ごと持っていき種火を獲得。しかし、自分たちの湿気と雨でテント生地が詰まってしまって酸欠! あぁ、火が消えるぅ〜。結局、入口全開で雨水が流れ込む中、排水のためにスポンジで吸い取った水を溜めたり、またずぶ濡れの靴下を絞った水を受けたりした鍋で、これまた水を作ったり、飯を炊いたりと……。最後は不衛生極まりない事をしていた。僕らには翌日の天気予報をラジオで聞く余裕すら無かった。
こんな芸当ができたのも「テント村だったから」と言えるが、黒部別山の山頂だったら笑えない事になっていたかもしれない。幸い雨が小康状態になってくれて、23時くらいにはすべてが終わったが、まだ序章だったようだ。

5月5日(雨のち晴) 
実は持ってきたテントはエントラント生地でフライがない。寝た直後から再び土砂降りになり、いろいろ対策を講じるが、通気孔から水がじゃんじゃんはいってきて床上浸水。コッフェル、スポンジ、靴下やらでテント内部の水を全部かき出すが、ずいぶんと量があった。
結局、雨は朝7時までで止んでくれて助かった。改めてガスっていてよく見えなかった八ツ峰を見るが、どこの稜もヤブ漕ぎ。結局、一番雪の有りそうな源治郎尾根経由で下山。僕にとっては2回目の源治郎尾根だ。源治郎から見て気がついたが、八ツ峰m峰の登りなんぞ雪すらついていなかった。
天気の回復に伴い、朝8時半過ぎから動きはじめたが、これまで一番元気な神谷ですらまったくスピードは出ず、尾根の取付まで1時間はかかる始末(実はシュラフまで濡れて一睡もしていない)。取付いてすぐに抜かれた2人組の後を追っても体が重く足が上がらず追いつけない。
全装備がしぼれるくらい濡れていて、ザックは楽に30m以上はありそう。こんなに濡れた装備では早月小屋までは辿り着けそうにもないし、かと言ってテント泊はとても出来ないので、わずか3時間弱歩いただけで、装備を乾かす事に決定。午後は、太陽が燦々と輝く中の贅沢なひなたぼっこタイムに費やす事になる。至福の一時!

5月6日(晴) 
源治郎尾根をのんびりとしたペースで歩く。途中の氷の張ったm級の岩場2ケ所もロープなしで抜ける。m峰での懸垂のあとは、雷鳥のつがいを撮影したりしながら、のんびり剱の本峰へ。
早月は各自のペースで下って昼過ぎに馬場島に下山。尻セードで白荻川まで一気に下ろうと思ったが、いつになく雪が無くてすぐに断念。
いつも出迎えてくれる馬場島の山桜は、異常気象のせいですでに終わっていて、辺りはすでに初夏の陽気。代わりに松尾平でカタクリの花がぼろぼろに疲れ切った心と体を出迎えてくれた。いつものように交番の前にお店を広げながら、今年の春も終わったなぁとしみじみと思った。
 


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[山行DATA]
2002年5月2日〜6日
木下、神谷(東京YCC)、野村(左京労山)
5/2[晴]大谷原(0630)→鹿島槍ヶ岳(1310)→牛首尾根支稜1950m(1700)
5/3[晴]TS(0500)→十字峡(1000-1350)→剱沢平(1515)→剱沢大滝取付(1600)→北尾根への登り返しポイン ト(1800)
5/4[雨m途中から土砂降り]TS(0450)→FIX2P登り返し(0550)→北尾根1985m台地(1120)→別山北峰(1415)→真砂沢TS(1700)
5/5[雨のち晴]TS→源次郎尾根2400m (1130)
5/6[晴]TS(0450)→剱岳(0815-30)→馬場島(1230)
posted by gorge13 at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 登攀記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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