2007年09月12日

黒部を越える旅@ -黒部川白竜峡横断〜別山中尾根支稜-

いつも考えている事がある。それは、季節に応じた面白い登り方をしたいということだ。例えば、夏はゴルジュ突破だし、秋は紅葉を愛でながらのマルチピッチのクライミング、春は谷の奥のマイナーな雪稜登攀や厳冬期には日程的に狙うのが厳しい黒部横断山行のようなラインといった感じだ。自分の力を精一杯出して試せるようなものを常にいくつか考えていて、計画書としてストックされている。
人の少ない山域で自分達が付けたトレースをたどりながらの雪山は、技術的な面を取り除いても文句無しに楽しい。特に黒部横断については、“山極道”東京岳人倶楽部に入っていながら、なかなか行く機会には恵まれず、困難さとは程遠くても一度やりたい山行の1つだった。後立山から剱への継続は、ワンゲル的な山旅の側面を持つと同時に、雪黒部の単なる技術だけでは終わりそうもない山とがっぷり四つに組む楽しさを与えてくれるような気がした。ゴールデンウィークの山行だからたいしたことはないが、黒部の山深さを十二分に味わう事の出来たすばらしい山行だった。
僕の夢ははるか先にある。剱沢大滝〜八ツ峰北面への美しくかつ攻撃的な横断山行、鳴沢出合付近での横断から大タテガビン第一尾根を経て八ツ峰への継続、そして未完成に終わった2パーティー4名による正月の上ノ廊下横断〜薬師岳中央稜と東南稜第一稜の同時横断など、困難とテクニックを同時に満たすような自分の創造力のたくましさに応じた横断のライン取りが可能だ。
自分の創造力に自分のテクや経験が追い付くのはいつの日のことなのか? いつか素晴らしい山旅が実現出来る事をこの雪黒部に夢見ながら、僕は山に通い続けている。


新越尾根〜岩小屋沢岳北西尾根〜白竜峡横断〜別山中尾根支稜〜八ツ峰T峰W稜〜早月尾根

4月28日(快晴)
前夜、出発ぎりぎりまで研究室にいるはめになり、あわや乗り遅れるというせっぱ詰まった状況となる。発車のベルが鳴る頃に急行アルプスに飛び乗るが、ザックに必要装備を放り込むので精一杯で、案の定地形図を忘れ、仲間からの顰蹙をかう。
初めての黒部横断へのスタートとなるのは扇沢から。特に難しいところもない新越尾根をただただ登っていくだけの出だし。連日の寝不足と重荷から全くペースが上がらず、ヨレヨレになりながら稜線に出る。
岩小屋沢岳からは北西尾根に進路を取る。この尾根はとにかくなだらかである。下降していくにしたがって、黒部別山がどんどん近づいていくので、とっても気持ちがいい。それにしても、雪が本当に少ない。去年のような多さを期待していただけに、この黒部別山の黒さはショックだ。
1770m地点からは、これまでのなだらかな尾根から一変し、尾根の形状を失いながら標高差700m下の白竜峡まで一気に落ち込む。結局翌日にかけて、ほとんどザイルを使用し下降することとなる。
哀しくなるようなクライムダウンの連続。下降路は基本的には尾根のはずだが、やたら急で、こけようもんなら、絶対に助かりそうにないのだけは間違いない。ロープを出すかどうか微妙な傾斜であるが、三好は去年の自分の仲間が滑落をしている事もあってか、相当に怖がっている。
慎重に谷底へ向けて雪壁を1人どんどんクライムダウンしていくが、後から来る2人はやっぱりおっかなくて降りれないということで、2人は懸垂で降りてくる。僕が1本ロープを持っていってしまったため、懸垂の距離も短くなってしまい、合流するまでずいぶんな時間がかかってしまった。
再度合流後、ロープを結びあって、三好をトップに、榎並・木下の順でブッシュでランナーをとりながらのコンテ。なぜか降りるのはいっつも一番最後だ。
何度かルート修正をしながら下降していくと、1550m付近で偶然、1張だけ張れる場所が見つかり、斜面を削り取って設営。正規の尾根の1360m付近のポコが右下に見え、懸垂でそれに乗れそうな見通しが立ったので助かる。

4月29日(晴のち曇)
今日もクライムダウン。まずは下り気味の急雪壁のトラバース40mから、懸垂50mで尾根上に再び乗る。尾根と言ってもかなり急だ。クライムダウン100mと懸垂20mで赤ムケの岩場が見えるところに出る。ここから尾根上を行くのも可能だが、末端は壁状になっているとのことで、ルンゼに向けて下降する。よく分からないが、たぶんここだろう。
クライムダウン40mと懸垂2ピッチ60mを交えて、赤ムケの下へつながるルンゼに向けて降り、あとはルンゼを黒部川までずっとクライムダウンすることになる。
はじめて来た白竜峡は完全に埋まっていた。時折、雪崩の音だけが谷に響く。両岸の断崖の中、デブリが累々と詰まった谷底は、地の果てというと大袈裟だろうか、なんともいえあ雰囲気がある。昨年のGWに赤ムケの壁の上から滑落死した秀峰登高会の荒井さんに黙祷を捧げたしばしの休息の後、黒部川から別山谷に入る。中尾根支稜の末端はハイ松主体のヤブで、ところどころに露岩が混じっている。登っていく榎並は恐ろしい早さで、ついていくので精一杯だ。

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所々、キノコの段差の乗越しでロープを出す。尾根が方向を右に変える辺りから、尾根はどんどん細くなる。尾根上は、はるか上までぽこぽこキノコを乗っけており、緊張感が高まってくる。榎並がキノコの弱点を突きながらどんどんロープを伸ばす。15時前にすばらしい展望台に着くが、これから天気が悪くなるということもあり、さらにロープを伸ばし、キノコの水平リッジから4ピッチ登ったキノコの上で幕。キノコの上なので精神的にかなり悪いが、左には大屏風岩の3本のカンテが眺められ、景色だけはすばらしい。いちお、寝ている間に吹っ飛んだら悲しいので、灌木からビレイをとっての睡眠となる。テントに入ってからすぐに雨が降りだした。

4月30日(雨のち晴)
起きてみれば、ロープをつたって水がテントに侵入。カバーの中までびちょびちょだ。なんといけてないことか……。
二段続きのキノコ雪を右に左に巻き上がること3ピッチで核心手前に着く。スノーピークへは、うまく左から合流する尾根に向かって露岩や垂直ブッシュなどを縫うように左上し、最後はスコップ担いで、きのこを崩して乗り込む。しかし、上がってみれば、やたらでっかいのがさらに一段。「おぉ〜」と唸りたくなるようなやつだ。ハングしていて、高さだけで7〜8m。こいつだけはさすがに登れない。
このキノコの下の右俣側を灌木と落ちそうなブロックをうまくつないで50m一杯トラバースしてピッチを切り、別山谷右俣に25mの懸垂。トラバースも上に大キノコ雪があるので精神的によろしくない。通常は、左俣への下降から左俣R4の登攀で再び稜線に乗るはずであるが、R4はスラブがでてるし、やたら不安定なブロックが引っ掛かり、とってもアブナイ。
結局、右俣側の逆くの字雪渓を登る。これとて先が見えるわけでなく不安を抱えながらの登りだ。特に出だしのチムニー状斜瀑は水が流れていて、榎並が全身ずぶ濡れになりながら越えた。とっても奮闘的だったが、ザックを流水を被る位置に残置したものだから、フォローがダブルザックで引き上げた時には非常に重くなっていた。
その後、木下トップでアイスリンネからキノコ雪を3ピッチで越えて、無事稜線に出た。
稜線に出てからは、ところどころ亀裂の入ったきのこや雪壁を一つ一つ越えながら8ピッチ程登る。雪の状態が良くないため、ロープを外すことも出来ず、歩みは自然と遅くなる。別山北尾根には2パーティーのテントが見える。きっとこの時間まで動いている我々を見ているに違いない。
最後の中尾根本稜に上がるところは完全なブッシュ壁。傾斜はとってもきつい。ここを榎並が正面左手のブッシュに突っ込むが、すでに時間は16時を回っており時すでに遅し。仕方なく、壁の下にあいた大きなクレバスを整地して寝る。榎並はしきりに「危ないから止めましょう」と言うが、ここよりましな場所はどう考えてもない訳で諦めてもらう。しかし、水は取れるし、整地さえすれば快適なテン場であった。

5月1日(晴時々曇)
昨日、登ろうとしてはまったブッシュ壁からさらに左に回り込んで登ろうとするが、やっぱり無理で、結局、別山谷右俣を登ることになる。再び1時間のロス。8時も過ぎれば雪が腐って大変だ。50mで7ピッチ分伸ばして、なんとか稜線に這い上がり、そこから少しで別山の山頂に到着した。
しかし山頂で目指す滝ノ稜を見れば、なんと核心のドミノ岩のスラブが露出している! しかも怪しそうなスノーブロックも……。一目見て諦めた僕に対して、2人は諦めきれないのか?取付まで見に行こうという。
「近くまで見に行かなきゃ分からないじゃない?」「あんなのどー見たって無理だろ?お前らはスラブに引っ掛かった雪塊の下をリードする勇気あんのか?ハーケン4枚しか持ってないんだぞ!そういうのは自分で行ける自信があってから言うもんだ」とモメるが、やっぱりどーみたってリスクを抱えてやるもんじゃない。結局、近藤岩から4稜に取り付き、この日は無名岩峰のちょっと下まで。

5月2日(曇のち雪)
今日はルンゼの通過もあるので、暗いうちからヘッ電をつけて出発。無名岩峰基部の雪壁をトラバースし、35mの懸垂でルンゼに降り立つ。そこから固く締まったルンゼを必死の形相で250mほど登れば、無名岩峰上のコルだ。思ったよりも傾斜は寝ているが、雪崩の通り道と一見して分かるところだけに自然と歩みは速くなる。
さらに150mほど雪壁を登ったところからロープを出す。ずっとスタカットで行くが、悪いところはP6のラクダ岩の基部のトラバースと、その上のピッチくらい。P5は榎並が正面から突撃して、垂直ヤブ漕ぎをして余計ハマっていた。ラクダ岩を超えてからP6へてマッチ箱はただでさえグズグズの雪壁に四ノ沢側に大雪庇が張り出し気持ち悪い。こういうところに限ってロープがキンクして出なくなり、リードをしていた僕は発狂寸前。久しぶりに胃液が込み上げるほど緊張した瞬間であった。
雪庇が大きく張りだしたマッチ箱からはちょっとクライムダウン。ここも悪い。時間も時間で大雪壁となるピラミッドピーク(P8)への登りは雪崩が怖いので、P7先コルの岩場に張る。天候は下り坂で、テントに入った途端に吹雪き出した。

5月3日(雪のち曇)
前夜からかなり雪が降ったため、朝は自然と寝坊モードになる。7時を過ぎる頃から上方から爆音みたいのが聞こえたかと思うと、「シャーシャー」とものすごいヤツが落ちてくる。たぶん落ちきったとは思うが、こんなところで取付まで流されるのは嫌なので、嫌らしそうなピラミッドピークへの雪壁登りは諦め、いくぶんマシに見えた・稜へのトラバースを敢行。こういう時に限って自分のリードの順番になったりするもんだ。ロープを2本つないで沢筋をトラバース気味に登って行く。やっぱり雪質も悪く、・稜へ上がるところの急雪壁は崩れそうで嫌な感じがする。時々、沢筋を小雪崩が起き、流されないように耐えながらのつらいピッチだった。
しかし3稜に上がっても、4稜との合流するまでの腐った雪壁が悪い。70m以上も確実なピンも取れないし、クレバスが新雪に埋まったり、少しでもかき落とせば雪崩れたりとタチが悪い。
ずっとスタカットすること7ピッチで1峰に上がり、2ピッチ60mのクライムダウンで1・2のコルに着く。視界がないため、ここで幕営。

5月4日(快晴)
午後からひどくなった風雪も、朝にはすっかり晴れ上がった。トレースはかすかに見える程度だ。
1.5峰からは長次郎側へ50mの懸垂をし、2峰はそのまま長次郎谷側をトラバース。3峰の上までノーザイルで進み、4峰はブッシュを支点に15mの懸垂。4峰からの下降は懸垂支点までの数歩がいやらしいとのことで、角材を埋めて懸垂する。5峰は残置支点を頼りに2ピッチの懸垂。
5・6のコルからはバケツトレースに助けられ、まさしく稜線漫歩の気分。しかし6峰で一旦クライムダウンが混じるが、これがとっても悪い。自分がロープを出さずに行ってしまったために、みんなマネしてハマる。
7峰あたりまで来ると、上半部だけ登る先行パーティーの渋滞が気になってくる。7峰の下降は手前のハーケンから斜懸垂してトラバース20m。7峰の懸垂や8峰のリッジ上で計1時間くらい待ったりしたが、池ノ谷乗越に12時着。この調子なら今日中に馬場島まで下りれると分かった途端、脱力感一杯だった体に力がみなぎり始めた。雪もほとんど腐っておらず、剱の山頂へも楽に行けた。
早月の下りはトレースもばっちりで、宇奈月から北方稜線を辿った去年と同じように歩きやすい状態。足首の状態がよくないため、2000m以上の下降は少し不安だったが、早月小屋からは尻セード混じりで下ることが出来、わずか3時間半で山頂から下りることが出来た。山桜に色づき始めた山肌を見ながら この横断行を終えた……。

このすばらしい横断行から3ヶ月たったある日、悲しい結末が訪れる。大切な仲間だった榎並は新潟・下田山塊の光来出沢で遭難死。享年25才3ヶ月。生前の彼と黒部横断への熱き思いを語り合った日々はもう戻ってこない。岩小屋沢北西尾根〜大タテガビン第一尾根〜八ツ峰1峰2稜、白馬主稜〜突坂尾根〜サンナビキ山〜北方稜線、そして未完に終わった正月の上ノ廊下横断〜薬師岳東稜のリベンジ……。彼と交わした言葉・夢を背負いながら彼の分まで登り続けるのだろう。
底抜けな明るい5月の剱、逃げ場のない緊迫した時間の中でがっぷり四つに山に取り組む黒部別山は忘れられない山になった。

 


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[山行DATA]
2001年4月28日〜5月4日
木下徳彦・榎並祐史(日本山岳会青年部)・三好弘子(秀峰登高会)

4/28[快晴]
扇沢(0650)→岩小屋沢岳(1210)→1550m付近(1730)

4/29[晴のち曇]
TS(0510)→白竜峡(0850-0920)→中尾根支稜取付(0940)→1700m付近(1710)

4/30[雨のち晴]
1700m付近(0540)→スノーピーク(0900)→中尾根主稜直下(1550)

5/1[晴時々曇]
TS(0640)→黒部別山(0930-45)→二股(1100-1300)→無名岩峰下(1500)

5/2[曇のち雪]
無名岩峰下(0440)→W稜P7先(1300)

5/3[雪のち曇]
W稜P7先(0940)→1・2のコル(1300)

5/4[快晴]
1.2のコル(0440)→池ノ谷乗越(1200-10)→剱岳(1250-1330)→(1655)馬場島


posted by gorge13 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 登攀記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

立山・称名川 称名滝

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2003年の1月、山岳同人チーム84に入会した。自分のクライミングの底上げ、そしてバリエーションを広げたいと思っての事だ。そこで得られた仲間達と、いつかは痺れるようなビッグクライムをしてみたい。そんな夢がまさか1年も経たずにかなうとは思わなかった。

立山に源を持つ称名川は、立山山麓の溶岩台地に称名廊下という一条の溝をつける。これが国内最後の地理的な空白部「称名廊下」である。そしてこの廊下の出口から、称名川の水は称名滝となって一気呵成に落ちる。落差320mを誇るその姿は天上界からの一本の白糸のようだ。この姿を間近で見て、心踊らせたクライマーがこれまでにどれだけいただろうか? おそらく、圧倒的な大水量に畏怖しながらも、実物を目の前に何度となく攻略法を練った事だろう。もちろん、僕もその例に違わず、この上に広がる前人未踏の大廊下帯に触れる事を夢見て、何年も沢登りを続けてきた一人である。

ところで、称名廊下に触れるには1つの大事な「約束事」がある。実は、上流の大廊下帯の突破を狙う者すべてが、この滝に触れてきている。そうである以上、僕らも廊下に触れるためには、先人の偉業を称える意味でも、きちんと称名滝から登る必要があった。とはいっても、日本一の大滝だけに「称名廊下の前座」と決して口にしてはいけないようなすばらしいステージでの登攀が約束されている。

称名滝の実質的登攀史は、72年の芦峅アルペンクラブから始まる。この時は120本のハーケン・22本のボルトが使用されたが、最大の落差を誇る四段目(最下段)は登攀の可能性を見限られ、右岸を巻かれた。その後も数パーティーの再登を見るが、どのパーティーも四段目は同様に巻いている。その四段目は、ほとんど垂直から部分的に被って見え、恥ずかしながら、私はボルト連打でもしない限り登れない代物だと思っていた。

しかし、2002年、さゎわらしの松本貴宏・佐藤裕介ペアが懸案の四段目の絶望的に見える垂壁にとうとうラインを引いた。弱点にもならないように見えた垂壁に走るクラックをうまく使い、ノンボルトで7ピッチのルートを引いたのだ。

ついにサイは振られた……ここ2年程称名滝登攀のチャンスを伺っていたが、立山までの道程がやっと1つ伸びた以上、挑戦するからには最下段から極力水際を辿るラインで登りたいと思っていた。先達の勇気ある挑戦なくして今回の僕らの挑戦はありえなかったが、やるからにはベストスタイルで彼等の偉業にこたえたかった。これが我々のクライマーとしてのこだわりでもあったのだ。


第一回 四段目試登(第2登)

この計画を実行する1ヶ月前のことである。Rock&Snow21号において、称名滝の登攀について書かれた記事が掲載された。約2年にわたって計画を温めていた私にとってこれは衝撃的な事件であり、下手したら誰かに抜け駆けされるんじゃないかと非常に動揺した。当初、ずっと天候不順であることから、来年への延期を考えていた矢先の事であったが、これでなんとしてでも今年中に挑戦しなくてはならなくなった。結果的には、考えた者はいたものの、幸いにして挑戦するものは出ず、我々の成功をアシストしてくれる事になったのだが。

しかし、日本一の巨瀑という存在の大きさが無言の重圧となって心に重くのしかかる。毎日、インターネットでライブカメラ映像を眺めてはため息をつき、2週間前から天気予報を日に三度見た。不安を無くしてくれる装備は、多少の金銭的負担で解決出来るのであれば全部用意した。

10月11日、朝8時。現地までついてきた山岸さんの奥さんに別れを告げ、川沿いのアプローチをする。じっくり見るのははじめてだ。平時よりも水量は明らかに少ない。しかし、爆音を響かせ、今までの常識を激しく逸脱するような水量がはるか上から降ってくる。

手前で入念なオブサベーションを済ませ、9時15分、ついにGo Up。称名滝の釜の横で水しぶきを浴びながらのビレイ。四段目の登攀は澤田・山岸がリード。セカンドがバックロープを引き、ラストの木下がギアの回収と荷上げを担当。全体的にトラバースが多いのと、ポリシーの問題もあり、フォローと言えども間引かれた人工部分以外はユマールを使ってロープにテンションをかけずにフリーで登ることになる。背中の荷物が恨めしい。

syomyo2.jpg

1P目は澤田さんが濡れて悪いフェースを登り、小カンテを右に回り込み、右上クラックの開始地点まで35m。初登時はIV級とグレーディングされているが、明らかにそれ以上の難しさ・悪さを感じる。事実、澤田さんは何度も登ったり降りたりしていた。結構ランナウトしていてふんぎりがつかなかったのだろう。

2P目は山岸さんが右上クラックをフリーで30m伸ばす。松本・佐藤ペアは途中でハンギングビレーしているが、ここを山岸さんがフリーで一気に彼等の3ピッチ目終了点まで伸ばす。易しいクラックを確実に登れないとオンサイトは難しい。

3P目は、出だしの微妙なバンドトラバース5mから、直上するクラック沿いにネイリング10m。出だしエイリアン橙、ストッパー#7の人工の後、ビレイ点まで連続10ポイントのネイリング。ほとんどがタイオフ。垂壁の上のスラブは「ペッカーとラープでの人工の後の怒濤のランナウト」と書かれ、VI−のグレーディングがされたところだ。しかし、澤田さんが根気のいるネイリングで登りきる。さすがにビレイ点10m程手前はタイオフが連続し、ヒヤヒヤもんだったらしい。幸いにして怒濤のランナウトはなかった。

4ピッチ目は水の流れる凹角をフリー。3ピッチ目にかなりのギアを投資してしまった為、必然的にランナウトする。傾斜も緩み、四段目落口が見えてきたが、これがなかなか遠い。

5ピッチ目はいわゆる悪い草付。特に出だしの水の流れる草付に足を突っ込みながら登るところは、なかなかバランシーであり、その後もピンが取れないので悪い。

ここを登りきると、両足でキチンと立てる平らなテラスに辿り着いた。この晩は飲み切れない程の酒と食糧で大いに盛り上がる。月に照らされた四段目落口から宙を舞う瀑水を見ながらのすばらしいビバークとなった。最も困難な四段目を登りきった事で、誰もが成功を確信していた。

しかし、翌12日は早朝から非情の雨。今になって思えば、もう少し辛抱強く待てなかったのだろうと思ったが、私がロープを引っ張りIV+・30m程度の6P目を登った朝7時、相談の上敗退する事にした。悔しい気持ちを隠してはいたが、樹林帯を懸垂で降りると、急激に天候が回復。大きな過ちを犯してしまった。「女心と秋の空」とはよく言ったものだ。もう一度、最初からやり直さなくてはいけない。それが我々の挑戦者としての心意気だ。


第二回 全四段ワンプッシュ
帰りの電車の中で澤田さんのがっかりした表情を見ていたら、やっぱり今年中にやっつけないといけないと思った。山岸さんは、食事の最中に称名滝の事を考えて箸が止まってしまい、奥さんに突っ込まれたとか。何よりも僕自身、何も仕事をしていない状態で終わらせる訳にいかなかった。みんなが、すべてのことを投げ出してでもやり直さないといけないと思った時、すでに成功は決まっていたのかもしれない。四段目の技術的な問題はすでにクリアしていた訳だから。当初、勤務の都合で参加出来なかった山岸さんまでもが都合をつけ、まさか本当に3人での挑戦が実現すると思わなかったが。

18日、ついに再挑戦が始まる。18時には桂台ゲートが閉まるが、これが帰京の足枷になる為、澤田さんがゲートの外に車を置きに行き、その間に木下・山岸でロープを伸ばすことになった。ただ、壁のコンディションは明らかに前回よりも悪い。遠目にも2P目のクラックから水がしみ出し、時間もかかりそうだ。何よりも先週よりもずっと寒い。覚悟を決め、8時15分スタート。

1P目は微妙な傾斜の嫌らしいフェース(V−・35m)。相変わらずスタンスは外傾していて微妙だし、特に回り込むところが悪い。こんな所で終わってはダメなので、10本のハーケンを決めながら登る。最後はスタンスもよくなり、回り込んだところから10mほどランナウトし、カム3、ストッパー1でビレイ点を作る。フォローで登って来た山岸さんからナイスリードの声がかかった。しばらくしてラストで登ってきた澤田さんは、すでに登り始めから指先に感覚がなく、相当につらい登りと回収を強いられたらしい。

2P目。右上クラックが濡れていたが、ここを山岸さんが再び登りきる(5.9・30m)。核心では何度も右足を滑らせ、非常に苦労しているのが見て分かった。カムもかなり決めづらそうだ。クラック上部のフレークをうまく使えるかが鍵なのか? 「今回は厳しい、落ちるかと思った」が山岸さんの弁。このピッチ、ハーケン1、ストッパー1、カム2でビレイ。ザックを背負った僕は、最後の核心で落ちて振られ、すぐ右の水の流れるクラックを登らされるハメになる。壁が冷たいため、指先から感覚が失われ、実に厳しい。

3P目は奇数ピッチ担当の私がヒヨり、山岸さんがリード(この辺りの自分の弱さ・情けなさを痛感)。ビレイ点右上にある垂壁を走るリスにネイリング。ナイフブレードのタイオフの人工が連続する。特に、垂壁を抜けてからの5mが重ね打ちやタイオフが混じり厳しそう。最後にかなり微妙なフェースを左トラバース(V・AA2+・30m)。さすが、慣れている人のネイリングは早く、1時間強でこのピッチが片付いてしまう。

4P目は木下リード。出だしの草付を登り、水が流れる凹角左のフェースを一段上がる。その後も左のフェースを行きたいが、なにせさっきのピッチでハーケンをかなり使っており、手持ちが5本しかない。そのうちナイフブレードはわずかに1枚のみ。前回のビレイ点はまだ30mは上だ。水流沿いにはカムを決まる場所があり、少しでもピンを取れる事を祈って、小さな流れを渡って勝負の右トラバース。しかしカムが決めれる以外は、状況は逆に悪化。戻るに戻れず、このまま直上し水が流れる凹角の右側を30mも引っ張ることになり、かなりランナウトし試練のピッチになってしまった。本気で落ちるかと思った。たぶんV+はある。ビレイ点はカム2、タイオフハーケン2。最後の手持ちハーケンはわずかにアングル1本のみ。

しかし、ここまで来れば安心だ。5P目は、前回同様、出だしの水の流れる草付に足を突っ込みながら登り、草付を辿ると見慣れた洞穴のある四段目落口に辿り着いた。出だしの所を右に回り込むと、階段状の岩場が続いている。

時間がある限り少しでもロープは伸ばしておきたいので、三段目に手をつける。今度は澤田さんと山岸さんが引っ張る。ここからは一部流水を被りながらのクライミングだ。

6P目は過去のほとんどのパーティーが一度ブッシュまで上がっているのに対し、ブッシュ下の岩場を怖〜いトラバースをするオリジナルラインを採用した。しかし、なかなかこのトラバースが微妙であり、途中マントリングも出てきて、トップの澤田さんも怖かっただろうが、ザックを背負っている二人はもっと怖い思いをしたと思う(IV+・45m)。延々バンドを辿ると広いテラスに辿り着いた。

7P目から勝負が始まる。そのまま水流に向かってトラバース気味の下降をし、そのまま水流沿いのヌルヌルフェースを垂直の左側壁をからめながら登り、水流沿いから一段上がった水しぶきのかからないテラスでビレイ(IV・40m)。途中の水流に降りるところが悪い。

8P目は瀑水を一部浴びながら登る。2000年の鮎川・佐藤ペアの使ったリッジは水をバシャバシャ被り、取り付いただけで水流にたたき落とされそうだ。さすがにそんなルート取りは出来ず、左の垂壁とヌルヌルのフェースをうまく使いながらの澤田さんならではのこだわりが感じられるルート取り(V・45m)。ラストの木下は、ビレイ点のハーケン二本の回収に手間取り(二本とも抜けずに残置)、回収作業中に真っ暗になってしまい、トラバース主体のために、回収中に振られて水の中にすべり落ちるなど散々な回収作業となる(2000年の鮎川・佐藤ペアの残置ストッパーは回収するも翌日どこかで再び紛失)。おまけに1本のナイフブレードが根元から折れる。三段目落口に18時10分着。

周辺はしぶきがひどく、くぼみと言うくぼみに水が溜まっている。これではまともなビバークは望むべくもないため、一度、四段目まで降りてビバークをしようと言う意見も出たくらいだ。がしかし、長時間のテラス捜索で、壁際の一段高い草付斜面が飛沫を被らない事を発見し、岩壁に寄り掛かり、ヘルメット被ってのビバークになる。夜中に強い雨が降る。おまけにクソ寒い。山岸さんは一晩中酒をちびちび飲んで体を温めていたようだ。翌日見た大日平からの立山はやはり白く雪化粧していた。

翌朝、寒すぎて体がカチコチなのと、少しでも壁が乾いて欲しいと言う願いから遅めの8時過ぎにスタート。手持ちの食糧はすべて食べてしまい、あとは上に抜けるだけ。

一・二段目は、澤田さんと木下で引っ張る。9P目は、釜に沿って岩を辿り、頭上の垂壁を避けるように一度左に逃げてから右上していく。ルート取りが屈曲しているため、ロープの流れがかなり悪い。45m以上伸ばして、下からも顕著な帯状岩のところでピッチを切る(IV+・ 45m)。壁が冷たく、登っているだけで指先の感覚が失われていくのが分かる。

10P目は、帯状岩より濡れたスラブを一旦右上すること20mで短めにピッチを切る(III+・20m)。

11P目は二段目の核心。このピッチと次のピッチをフリーで抜けるのが目標でテンションかけちゃわないか不安だったが、澤田さんに「なんか行けるような気がするだろう?」と後押しされ、すべてのギアを貰っての挑戦。自信のない僕にとって、澤田さんの笑顔とさりげない一言が自信の源になる。スラブを一旦直上してから(一手怖くてA0)、目指す凹角へと続く斜上クラックに入り、どんづまりまで辿る。しかし、なかなかに厳しい代物だ。ふと横を見ると、左のクラックを途中まで辿り、途中のバンドから戻る事でフリーで行けそうだ。事実、フリーで辿るにはこのルート取りしかなく、抜けの部分がヌルヌルで結構厳しい動きを強いられたものの、右手一本で決めたアングルが気持ちいいくらいに決まってくれたおかげで、大胆なムーブで二段目落口へ(V・30m)。よっしゃーという掛け声と共に、すぐにロストアローを決めてビレイを始めるが、これが上をまともに見ることも出来ぬ程の暴風雨の中にいるようなテラスで、滝に背を向けてのビレイになる。しかもこの時素足にフラットソールだったことで、この後一週間経った今も足先の感覚が戻らなかった。

12P目はつるべで澤田さん。ビレイ点正面のクラックを登ろうと、フリーでのトライをしていたが、非常につらいビレイをしてい僕の姿を見て、人工に切り替える。この気配りがありがたい。ナイフブレードタイオフ3本の人工の後、そのまま直上し15m程上のアングルハーケンが残置された小テラスでピッチを切る (IV・AA1・15m)。この時にはすでに手足の指先の感覚はなくなっていた。ラストで登ってきた山岸さんが後で左のクラックを攻めればフリーだったかもしれないと言ったが、その場の判断なので仕方がないだろう。暴風テラスでビレイしていた僕は、手足の感覚が戻らず、澤田さんに13P目もリードしてもらう。

次のピッチ、出だしの右上するフェースが足先に感覚がなく非常に苦労する。その後のフェースも微妙なスタンスが多く、指先に感覚のない身では非常に厳しい(V・40m)。

称名滝の落口が見えてきた。この辺りまで来れば、岩も乾き快適そのもの。後方に広がる景色を楽しむ余裕も出て来た。ファイナル14P目は快適なスラブを駆け上がる。はずだったのだが、微妙な感覚が戻っていないため、右に左に逃げまくり、格好悪いリードになってしまった。傾斜が緩まると同時に、前人未踏の大廊下帯の入口が見えてきた。落口左の木にビレイをとり「ビレイ解除〜っ」。最後に上がってきた山岸さんは身長320mの「彼女」に愛の接吻までしている。13時半に終了。

残念だったのは、二人が上がって来た時にはすでに廊下はガスの中。恥ずかしがっていたのだろうか?

しばらく落口でくつろぎ、ガスで隠された絶望的な大ゴルジュを横目に大日平への道を急ぐ。下山路もなかなか侮り難い。のっけから非常に急なブッシュ帯。手を離したら下まで吹っ飛んでしまいそうだ。大日平手前の岩壁の基部に辿り着き、目の前の悪い草付壁(核心の1つでもある)を2ピッチ登って少し登ると、傾斜はいきなりなくなった。厳しいヤブの中で右往左往すること20分。ついに草原に出る。大日平の向こうには大日や奥大日、そして後ろを振り返れば、白く薄化粧した立山の姿が見えた……。

志を共有してくれた山仲間に恵まれたことを感謝しよう。そして、そんな仲間達と登れた称名滝はごほうびとして考えよう。でも、まだこれで終わり訳じゃない。称名廊下、そして立山へと流れは続いている。これが大冒険の始まりなのだ。

[山行DATA]
2003年10月18日〜19日
立山・称名川・称名滝(14ピッチ、5.9、AA2+)
木下徳彦・澤田実・山岸尚将(チーム'84)
一度、10/11に四段目126mを第二登しての再挑戦(この時は、三段目途中にて降雨敗退)
10/11[晴]四段目取付(0915)→四段目落口(1630)
10/18[晴・夜間雨]四段目取付(0815)→四段目落口(1345-1420)→三段目落口(1810)
10/19[曇]二段目取付(0815)→二段目落口(1150)→一段目落口(1330-1400)→大日平(1600-1630)→登山道(1700)→桂台ゲート(1845)
使用ギア:エイリアン青〜キャメロット#2(各2)、エイリアン黒(1)、ナイフブレード+バガブー(各種12枚)、ロストアロー(各種6枚)、アングル(1)、軟鉄ハーケン(3枚)、ストッパー#1〜7(各1)、タイオフスリング大量、φ9×50mロープ(3)、エイダー(各自)、タイブロック(2)、ユマール(2)、ショックアブソーバースリング(1)
他の所持装備:タロン、ラープ、ペッカー、ボルト(6)
posted by gorge13 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 登攀記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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